2011年JARL倉敷クラブ 移動ミーティング

 和歌山には、「世界遺産」の一つである「紀伊山地の霊場と参詣道」をはじめ沢山の観光地がありますが、今回の倉敷クラブの移動ミーティングは、その中で南紀白浜と串本に絞って実施しましたが充実した楽しい2日間でした。
 移動ミーティングでは、地元のハム仲間にお世話になり親睦をはかる事がよくありますが、今回の南紀ツアーでは、白浜では40年来の友人であるJA3CFH南村OMJA3JNS前田OM、串本ではJO3SET笠原OMが、終日ご案内して下さり、どこもが満足のいく場所ばかりで参加者一同大満足でした。
 特に今回は高速道路利用の優遇の最終日とあって、全国の観光地が大渋滞の中で、観光コースの設定、目的地へのスムーズな移動、写真撮影ポイントの選択などでは、地元の方でないと分からないスポットを選んで頂きVY FBでした。この度もハムを通じての友人の有り難さを痛感している次第です。
 梅雨時期でしたが2日間とも、観光の目的地に到着したら雨が上がり、これも関係された皆様の日頃の精進の所為か・・。
 南村OMにご紹介頂いた【南紀白浜・源泉かけ流し!「望海」】のホーム・ページの「若女将日記」に618日夜早速、若女将のんちゃんを囲んだ会食の様子が紹介されたので、留守宅の家族も驚きました。お暇な時にご笑覧下さい。


【本覚寺】

 また徳川御三家紀州藩と関係が深い、本覚寺(貝寺)では、JA3CQQ熊本住職から、本堂での法話・大信山本覚寺の縁起・蒐集されている「貝の展示室」のご説明等、ご多忙の中時間を割いてして頂き感激いたしました。「健康招福・家内安全・開運厄除・交通安全」の御守を頂戴しました。
 本覚寺は、浄土宗鎮西派知恩院末寺で、山号を大信山と言う。
旧記によれば、昔白良浜(白浜町)奥の寺谷に在りしものを元禄年間に現在地の瀬戸 に移したもので、元は真言宗の寺であったが、この時に浄土宗に改宗した。

本覚寺は「貝寺」の名で広く知られているが、昔から海辺の寺として漁民たちより貝殻の寄進を受け、学名『ホンカクジヒガイ』をはじめ珍奇珍種の貝種約千種を蒐集、学術的にも貴重な品種が当寺に所蔵されている。


観光スポットの紹介

【串本海中公園】

  目の前は太平洋!黒潮の贈り物・・本州最南端串本の大自然を満喫!
 1970年7月に日本で最初の海中公園として指定された区域である。公園内には、その海を直接的・間接的に鑑賞するための施設が設置されている。
串本は温帯気候であるが、海中は暖流の影響で熱帯亜熱帯の世界が広がる。また、この海中公園一帯は世界最北のテーブルサンゴ群生地であり、稀少な種類のサンゴも棲息する貴重な海域であることが報告され、ラムサール条約に登録されている。



【串本 橋杭岩】  弘法大師伝説を生んだ大小40余りの奇岩群

  橋杭岩(はしぐいいわ)は、和歌山県東牟婁郡串本町にある奇岩群。同町の大字鬮野川(くじのかわ)小字橋杭の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っている。直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができる。
吉野熊野国立公園に属しており、国の名勝や国の天然記念物の指定も受け観光名所となっている。また橋杭岩を通して見る朝日はとても美しいと評判で日本の朝日百選の認定も受けている。


【紀伊大島】
 紀伊大島(きいおおしま)は和歌山県東牟婁郡串本町の沖合い約1.8kmの海上に浮かぶ面積およそ9.93km2、周囲26kmを誇る和歌山県下最大のである。元来より大島と呼ばれてきたが、全国的に大島の名を持つ土地は数多く、それらとの区別のため「紀伊」を附し「紀伊大島」と呼ばれる。また、串本大島とも呼ばれる。人口はおよそ2,000人で、和歌山県で唯一の離島振興対策実施地域ともなっている。1890年には、日本とトルコの友好関係のきっかけとなったエルトゥールル号遭難事件が当島の沖で発生した。


紀伊大島  樫野埼灯台

  和歌山県東牟婁郡串本町沖の紀伊大島の東端断崖に建つ灯台。
 「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計し、1870年(明治3年)に初点灯した日本最初の石造灯台であるとともに、日本最初の回転式閃光灯台でもある。なおこの灯台は、幕末の1866年(慶応2)に、江戸条約によって建設することを約束した8ヶ所の条約灯台の一つ。灯塔高(地上から灯火まで)14.6m、標高は(平均海面から灯火まで)47m、第2等フレネル式レンズを使い、光度53万カンデラ、光達距離18.5海里(約34km)。
 白亜の無人灯台で、灯台内部へは入れないが外部階段から灯台に登ることができる。灯台に続く遊歩道の入り口にトルコ記念館・トルコ軍艦遭難慰霊碑がある。



【紀伊大島  トルコ記念館】

  トルコ記念館(トルコきねんかん)は、和歌山県串本町紀伊大島にある博物館1890年に紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国(現在のトルコ)のフリゲートエルトゥールル号の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示している。


【潮岬】

  潮岬(しおのみさき)は、和歌山県東牟婁郡串本町に属し、太平洋に面する北緯33度25分59秒東経135度45分45秒本州最南端(クレ崎)。
紀伊大島と並び、熊野地方を代表する観光地吉野熊野国立公園の一部。
日本でも有数の台風銀座であり、台風の位置を表す指標にされることが多い。


【潮岬灯台】

  潮岬灯台(しおのみさきとうだい)紀伊半島南端の和歌山県東牟婁郡串本町にある太平洋に突き出た潮岬に建つ白亜の灯台である。
この灯台は明治初期の江戸条約によって建設された8基の洋式灯台(条約灯台)の一つで、歴史的・文化的価値が高いAランクの保存灯台に指定されているほか、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
参観灯台として資料展示室を併設し常時公開されており、本州最南端に位置する灯台から望む太平洋の風景は地球の丸みを感じることができる壮大なものである。
周辺一帯は南紀の景勝地で、吉野熊野国立公園に指定されている。

潮岬灯台

航路標識番号

2902 [F5994]

位置

北緯33度26分15秒 東経135度45分16秒 / 北緯33.4375度 東経135.75444度 / 33.4375; 135.75444:
北緯33度26分15秒 東経135度45分16秒 / 北緯33.4375度 東経135.75444度 / 33.4375; 135.75444

所在地

和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2877

塗色・構造

白色・塔形石造

レンズ

LB-H120型灯器

灯質

単閃白光 毎15秒に1閃光

実効光度

970,000 cd

光達距離

19海里(約35km)

明弧

278度から130度まで

塔高

22.51 m (地上 - 塔頂)

灯火標高

49.47 m (平均海面 - 灯火)

初点灯

1873年9月15日

管轄

海上保安庁第五管区海上保安本部




【潮岬 望楼の芝】

 本州最南端の台地に広がる10万uの大芝生。「太陽の出て没るまで青岬」と山口誓子によってうたわれているように、眼前には、緩やかな弧をえがいて太平洋が広がり,地球の丸いことが確かられる。
 明治6年初点灯。串本節にも唄われ、全国的にも有名で、荒波打ち寄せる断崖上に立ち尽くす白亜の灯台の姿は美しく観光客の目を楽しませる。 高さ19.55m、光度130万カンデラ、光達距離19.0海里


【平草原】

平草原公園近くにある平草原展望台は、以前は、道路わきの広くなったところから眺望するのみでした。それでもその景色はすばらしいものでしたが、2008年3月に、斜面に10mせり出した新しい展望台ができています。床や手すりには紀州材が用いられ、車いすの方も眺望が楽しめるよう、スロープがついています。
眼下には、白良浜、円月島、古賀浦から田辺湾までも見渡せます。この絶景をぜひお楽しみください。


【三段壁】

紀伊半島南部西海岸、南紀白浜温泉の直ぐ南の海に直立する長さ2km、高さ50m - 60mの大岩壁で、断崖絶壁の名勝として知られる。断崖の先端には展望台が設けられており、雄大な南紀の海景を見ることができる。また、地下36mには海蝕洞窟が形成されており、断崖上から地中をエレベーターで降りると洞窟内部を観覧できる(三段壁洞窟)。
50メートルぐらいの高さがある大岩壁が続き、そこに打ち寄せ、砕け散る波に自然の荒々しさを感じることができます。
自殺の名所        海面までの高さがあるほか、壁下の海流が早い(飛び込めば波に巻き込まれ、浮き上がるのが困難)という理由により、昭和30年代頃から[要出典]自殺の名所」という呼ばれ方をされるようになった。また、昭和30年中頃から50年代後半にかけては飛び降り自殺が多く発生[要出典]したため、社会問題となった。
  三段壁には洞窟もあり、エレベーターで海のそばまで下りていけます。ちょっと不気味な感じがするかもしれません。
  不気味といえば、夜の三段壁に行ったことがあるのですが、それはそれは不気味でした。特に何も起こらなかったのですが、
「いのちの電話」が目の前に現れたときは、なんだか怖くなりました。足場も悪く危険ですので、夜行くのはやめましょう。



【千畳敷

  新第三紀層の砂岩からなる、太平洋に面したスロープ状の岩盤。砂岩は非常に柔らかいため、打ち寄せる波の浸食を受け、複雑な地形を形成している。
その広さはおおよそ4ヘクタールで、を千枚敷けるほどの広さであることが名前の由来。三段壁円月島と並んで、白浜町の景勝地として知られている。
この場所から望む夕日の美しさは非常に有名で、広大な太平洋へ沈むその姿には、この地に訪れるものに深い感動を与える。
普段は岩盤の上を歩くことは出来るが、波浪注意報警報発令時は立入が禁止される。年間と通して風が強く、台風中継がよくこの場所で行われる。
畳を千畳敷いたような広さ、ということで名づけられたといいます。ここの岩場は平らなのでどんどん下のほうに降りていけます。
千畳敷と青い海との組み合わせは、絵になりますよ。写真を撮りまくってください。
千畳敷の岩はとてもやわらかくて、石で引っかくと簡単に削れてしまいます。そのため、落書きが後を絶たず、問題となっております。


【白良浜】

白良浜(しららはま)は、和歌山県西牟婁郡白浜町の鉛山湾沿岸に位置する砂浜である。石英の砂からなる白い浜辺で知られる。2006年環境省による快水浴場百選のほか、1996年日本の渚百選に選定された。2000年7月20日にはホノルル市ワイキキビーチとの友好姉妹浜(Goodwill Beach City Relationship)提携を結ぶ調印式が行われた。ポイ捨てなどによる砂浜の汚濁を危惧した白浜町は、白浜町白良浜等喫煙及びごみ等のポイ捨て禁止条例を2008年7月1日に施行し、砂浜内全域は禁煙となっている。
  渚100選にも選ばれた関西を代表するビーチです。真っ白な砂浜と真っ青な海と空、「わあ、外国の海みたい。」   なんて言っている観光客の声も聞かれます。また、白良浜の砂は非常に細かくて、さらさらなので、ぜひ裸足になって砂の感触をあじわってみてください。「うわあ、きもちいい。」ということ間違いなしです。



【円月島】

  円月島(えんげつとう)は和歌山県西牟婁郡白浜町の臨海浦に浮かぶ。国の名勝に指定されている。正式名称は高嶋(たかしま)。南紀白浜のシンボル。夕景の名所としても知られる。
 島の大きさは南北130メートル、東西35メートル、高さ25メートル。特徴は島の中央に海蝕による円月形の穴(海蝕洞)が開いていることで、これが名称の由来になった。大潮の干潮時には、腰ぐらいが海水につかるぐらいで歩いて渡ることができる。近くの白良浜に比べ透明度は格段に高く、魚種も多く見られる。円月島の周りにはタコイカなどが生息。島内の潮溜まりにはハタンポの大群が生息しており竿をいれると入れ食い状態である。さらにトコブシも取れる。またウニが多く生息しており、刺さる危険性がある。
近年、風波による岩の崩落が進んでいる。これに伴い、白浜町は2009年7月より、管理者の許可なく円月島に近づかないよう呼びかけている[1]。2010年10月に測量を行った結果、橋の部分に強い地震に対する耐久性がないことが判明したため、2011年秋以降に補強工事が行われる予定である[2]
 円月島は変わった形の島です。真ん中に穴が開いていて、まるでめがねのような形をしています。
夕日が沈む頃に行きたいスポットです。1年に1,2度だけ、真ん中に開いた穴に夕日が沈むのを見ることができます。